フリューゲル・デス・フレースヴェルグで起こる日々の出来事・・・
夜明けを選べ

         


いつか

いつかその夢は見なくなると、マスターが言った。

 
 

 

爽やかで暖かそうな日光が、真っ白いテーブルに反射して眩しい。

朝のようだ。


愛らしい幼い一人の女の子が走ってこちらへ向かってくる。

両手に抱えたボウルを、夢の中の私へ差し出す。


ふっくらと幸せそうな頬が上がり、嬉しそうな笑顔を浮かべる。

中にはミルクのデザート。

 


追うように、今度はスカートの裾を少し上げて走る少女の姿。

靴についた芝生の朝露が眩しく、女の子と同じ色した瞳が太陽の光で輝いている。


彼女の聡明な雰囲気を作り出している眉。

しかし今は八の字を描いている。


大きな瞳で私を見上げる女の子の体が宙に浮く。

姉の腕の中に収まった表情は、一度驚いたあと、またあの笑顔になった。


少女の怒ったような、困ったような目元も、徐々に柔らかく細められる。

 

何を言っているかは聞こえない。

 

女の子が、私の持っているボウルと、私を交互に指差す。

少女が微笑みを浮かべ、女の子を見、私を見る。

 

それは、しあわせそうな光景だった。

 
 

 


しかし
すぐに日暮れがやってきた。


高い、大人が手を伸ばしても到底届かない程にある窓からは、月が見える。

猫の眼のように鋭い月。


私は冷たそうな石畳の上に座り込み、自分の足を抱えている。


もしかしたら寒いのかもしれない。

体が震えている。


月の光しか届かない、暗く異様な静けさの中。

どれくらいここにいるのかわからない。


規則正しい足音が聞こえる。

揺らめく灯火で影が作られ、それが近付く。


蝋燭の灯に浮かぶ男の口が言葉を紡ぐ。

 

何を言っているかは聞こえない。

 

男は、氷のような視線で僕を見下ろし、手を差し出した。

 
 

 

 


いつかその夢は見なくなると、マスターが言った。


ほんの数年前までの話。

今はもう夢さえ見ない。


"その夢"が本当に夢だったとしたら。




従僕 ユーリ - -
再度の喪失

         

しとしとと雨が降る灰色の空。
館は異様な静けさを纏っていた。

こういう日に限って、仔犬は親の後を素直について行く。


外へ出られない代わりに、使用人たちは早足に廊下を横切る。

 


地下の備品庫から、うっすら埃が被った燭台を持ち出す。
それすら使わないと、追悼パーティは間に合わない。

 

 


eins

縁の乾いた綿埃を指先で撫でる。

 

zwei

両腰に下がる銃と同じ材質なのに、鈍く光る燭台。

 

drei

古い蝋の塊りがこびりついている。

 

vier

逃げる者を追う足音が聞こえる。

 

fünf

指先まで真っ黒になった。

 

sechs

箱の内側に同じ記号が3つ並んでいる。

 

sieben

左で見えるのは夜空の星だけ。

 

acht

木箱の上を蜘蛛が這う。

 

neun

ここへ来てから、遠くで水が滴る音がしている。


zehn

これで充分。

 

 

 

依頼された分の燭架をまとめ、地下室を後にする。


しかし、それらが入っていた木箱に違和感を感じ、もう一度、薄暗い部屋へ爪先を戻す。

開いたままの扉からの頼りない灯が照らす箱の底を覗く。


左眼に一瞬だけ、鋭い痛みが走った。

 

 

 

11個目を見つけた。




従僕 ユーリ - -
久しき罪の代価
         

日増しに館が厳かになる。


静かに、しかし、慌ただしく、
重々しく、しかし、取り繕ったように


客間を隅から隅まで掃除、
毎日磨くシルバーももう一度すべて磨く。



マスターは黒いドレスを着ることが日常になり、
しばらく前までは仕立て屋が館を忙しなく行き来していた。




マスターの顔は、日増しに影を指す。

いつも通りに、しかし、瞳は暗く、
忙しそうに、しかし、上の空のよう



「せっかくのドレスですのに、エリーゼ様」


と、仕立て屋は言うが、
マスターは微笑むだけ。



マスターは"楽しくない"のだろうか
"寂しい"のだろうか



従僕 ユーリ - -
存在の軌跡

         

午前中はホールの掃除を一通り、
午後の空き時間に銃の手入れをすこし、
ティータイムが終わったら、書斎の掃除。


他の部屋に比べてシンプルな書斎は、どんな時間帯でも快適な室温。
本棚に阻まれ薄暗く静かだから。
冬よりも幾ばくか、紙の匂いも濃い。


『ヴェサリウスのファブリカ』という耳慣れない言葉を聞いたのは、最近、ここでだった。

 

書斎の奥へ足を進める程、古びた紙の匂いが徐々に濃くなる。
すると、その日はそれと共に、人の声も聞こえてきた。

一種類の声しか聞こえなかったため、独り言だろうと思ったが、
それにしても大きい。


「ドクトル」


最も奥、壁際の本棚の床は散らばった本で埋め尽くされ、その中心に白衣の男が座っていた。
使用人が来たことには気付いていないらしい。


「こんな所でこんなに保存状態の良いきみに出会えるなんて思ってもいなかったよ、ヴェサリウスのファブリカ!」


きみはいつ読んでも僕に新たな発見と水水しい発想を与えてくれるんだよ、
と、ひどく興奮した様子で分厚い本に話しかけている。

瞳はキラキラと輝いていて、恭しくハードカバーを撫でている。
この状態のドクトルには、何を話しかけても意味がない。

その日は、白衣の男に背を向け、書斎を後にした。

 

先日と同じように壁際の本棚から、と歩みを進める。
しかし様子が違う。


本棚には大きさが同じの本が隙間なく並んでいた、と記憶しているのだが、
今日は大きな空間がある。


おそらく、そのファブリカなのだろう、と検討をつけてみた。

 

その本の行方には興味はないけれど。




従僕 ユーリ - -
血の獣
         

「排除しますか?」 



――― の問に、マスターはNoと答えた。



マスターの言うことは絶対。


主人の言うことは
絶対




薔薇、花瓶、ナイフ、スカーフ、紅茶、ティーカップ、


ベッド、シーツ、



井戸水







  - eins





ベッド、シーツ、






  - zwei




ベッド、シーツ、


裸足


両手






  - drei






引き金








Jawohl.



従僕 ユーリ - -
長い子守歌
         

長い廊下の窓、ひとつひとつのカーテンを開けて、朝を始める。
濃紺の壁にぶつかった朝日が溶ける。

朝早くから、外で犬が吠えている。
人間の言葉とも認識出来る遠吠えに、もう一頭の犬も吠え出す。


カーテンを開け終わると、ローゼンガーテンへ向かう。
その日、部屋に飾る薔薇を集める為。


中でも、素晴らしく『美しい』薔薇を選ぶ。
花弁と葉が多く、咲きすぎていてもいけない。

私はその薔薇を美しいと感じていないのに、私はその薔薇を美しいと感じている。
マスターが好むシャンパンゴールドの美しい薔薇を選ぶ為。




全てそうなっている。



薔薇、花瓶、ナイフ、スカーフ、紅茶、ティーカップ、
ベッド、シーツ、井戸水、猫、

何が美しいのか、何が醜いのか、自然とわかる。



クラウス・オルトヴィーン・ルーデンドルフ、
リク・スヴァンテ・アルムフェルト、
レオン・アンゼルム・フレンツェン、

それと、マスター。

何が適切なのか、何が最悪なのか、自然とわかる。



先程まで薔薇園の遠くから聞こえてきた犬の鳴き声が、近くなった。
走ってこちらに向かっているらしい。

赤髪の二足歩行の犬だろう。
マスターの部屋に飾る薔薇を手折られる危険性がある。

両腰に下がる銃に手が伸びる。
排除しなければ。




ただ唯一わからないのは
この長い子守唄が止む、その時。




従僕 ユーリ - -
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