フリューゲル・デス・フレースヴェルグで起こる日々の出来事・・・
再適応メカニズム
         

「つまりね、こういう事なんだ」



彼は目を閉じてこちらを向くことも無く静かに横たわっている。
それでもボクは構わない。



「人間というのは案外、しぶとい生き物なんだ。
 物質的に命を絶つという事は人間として機能が停止する事を指す。
 だけれど精神というのは肉体がある限り活動をやめない」



無関心な彼に向かって言葉を続ける。
反応は何一つない。
しかし言葉に発して思考をするという行為は
時に文章として書き出すより考えがまとまったり
する。



誰かに話しかけている、という事が大事なのだ。



「要するに精神に0という値はないんだ。
 限りなく0に近くはなるだろうけどね。
 ではそのように精神を削り取っていくとどうなるか?」



膝を屈めて彼を見据える。
彼の様子に変化は無い。



「意外にもある時点から削れなくなっていくんだ。
 それどころか削られた箇所が以前より厚く硬くなっていく。
 まるで折れた骨がそれまでより丈夫になって治るみたいにね」



再生する骨を描くように指を宙に躍らせる。
その動作に幾分興味が湧いたのか、彼はぴくりと片目を開けた。



「防衛機制というやつが近いのかな?
 その治り方は人それぞれのようで、骨そのものを太くしていく
 人もいれば周囲の筋肉を硬くしていく人もいる。
 あるいはその骨をまったく違う素材で生成したりもする。
 うちの三兄弟がそうだったようにね」



彼は更に能動的になり、顔を上げてこちらを向いた。




「そうして再生された自我というのは実に強固なものでね。
 感情に無駄というものが無い。
 精神崩壊を避けるために壁を張り巡らせて内側から
 鍵をかけるんだ。
 閉め終えた後、その鍵は処分してね。ところが…」



空を見上げる。
湿った空気がまとわりつく中、曇天の空が広がっていた。



「鍵穴が存在しないはずの外側から、彼はあっさり内側
 に侵入する事に成功したんだ。
 その結果は悲惨なものさ。
 割れた卵の中身をかき回すように、ユーリの自我は
 グチャグチャに混ざってしまった」



キレイな顔をした男の子、ってディーナは言ってたっけ。
それに…



「『トンプソンさん』…なんてハインゼスさんは言ってたよなぁ…
 彼、一体どんな魔法を使ったのかな…それを知るためにも
 君も行ってみたいよね?か、カ、カドゥケ……メス?」



例の薬の事といい、彼に対する興味は尽きない。
それにしても…



「何か一言くらい反応してくれてもいいじゃないか…
 そんな態度してると、行きたいって言っても
 連れてってあげないからね。
 …おーい、聞いてる?リベルタ〜…」



しかし興味は無いらしく彼は完全にそっぽを向いてしまった。
犬には難しかったかなぁ。


嘆息してボクは立ち上がり、一人で抜け駆けして『なんとかメス』に
出かけないよう念を押すためクラウス殿の執務室へ向かう事にした。



科学者 レオン - -
ロストワン

「マリアナ、紅茶がほしいな。うんと甘くて濃いのがいい。
 それに砂糖を削りだしてできてるんじゃないかっていう
 位の甘いお菓子があれば嬉しいなぁ…。
 体は動かなくてもいいんだけれど、頭を強制的に動かして
 くれるような糖分が理想だね。
 なにせ徹夜も三日続けば体はともかく頭がついてこな…

 ……?

 ――あれ?」



返事が無いのはいつもの事だけれど、それ以上の違和感を
感じて辺りを見渡してみる。
…どうやらマリアナはこの室内にいないらしい。



「……てっきりこの辺りの部屋にいると思ったのになぁ…。
 じゃあボクは一体どうやって紅茶を飲めばいいんだよ…」



これ以上探すのも億劫になって傍にある椅子に身を委ねる。
培養していた細菌が変化を見せ始めたのが75時間前。
その過程を観察するのが楽しくて一睡もせずにきた
けれど…今はそれもどうでもよく思えた。



「紅茶…飲みたいなぁ…」



なんだかもう一生このまま椅子から立ち上がれないんじゃないか
という気がした。
きっとボクはこのまま紅茶を飲むことも無く椅子の一部になって
人生を終えるんだ。



ああ、せめて今ボクが座っているこのテーブルに置いてあるのが
ユーリの眼鏡じゃなくて甘い紅茶だったらボクが椅子として人生
を終えることも……



――ん?



「珍しいなぁ…この館に来てからはそうそう外す事も無かったのに」



手にとって眼鏡をかけてみる。
視界はなにも変わらない。



「三人を連れてきてどれぐらい経ったっけ…」



ぼんやりと天井を見上げる。
今思い出してみても三人がこの館に来てからの移り変わり
は三者三様興味深いものだった。



端的に言うと



賢い姉は感情をすり潰して理性に細かく混ぜ合わせ
幼い妹は感情そのものの成長を意図的に止めた。



そうする事で感情と理性とのバランスを保ち
錯乱することを未然に防いだのだ。



事実、二人に関してはユーリのように暴走すると
いう行為は現在見られない。



そう、ただ一人ユーリだけが環境を変えてからも
膨れ上がる感情に対処できないでいる。



そこで催眠術のようなものをかけて強制的に感情
のスイッチを切る事を試みた。
殊更に「ヨルムンガンド」や「トール」といった
キーワードを用いたり、眼鏡をかけさせて外見上
の変化を意識させるのもその一環だ。



今の所その試みは功を奏している、ただ…



「トールも最後はヨルムンガンドと相打ちだったと
 いうし程々にしないと……ん?それなら今の内から
 もう一つくらい催眠を施しておくのはどうかな?
 いやぁ、それだと意識が混在しすぎて多重人格に
 なる恐れが…あれ?そもそもなんでボクはユーリ
 の眼鏡をかけてるんだっけ…?」



この部屋に来た目的はなんだったのかわからなくなった
まま、ボクは思考の海底へ沈んでいった。



科学者 レオン - -
真実≠過程
         

平穏。
日常と平和。
静謐なひととき。



追悼セレモニーを終えて数日、ボクの研究室には
久しく安穏な時間が訪れていた。



ボクにとっての安穏とは知的欲求を貪る…要するに
やりたい実験やら検証を気が済むまで続ける事を指す
んだけれど…



あのセレモニー以降、やりかけの数々の実験を放り出し
ボクの興味はただ一点に注がれていた。



つまり、この小瓶の中身だ。



数年の歳月を費やして明らかになった解析結果、そして
エリーゼの話を総合するといくつかの事実が浮かび上がった。



生成するには非常に困難を極め、ごく限られた環境でしか
手に入れる事はできないであろう事。
自殺したと思われるリーネ殿の傍らにあったこの小瓶の
中身は、毒性は皆無であった事。



これらの事実を踏まえてなお、その成分・効能・副作用には
多くの未知が残る。
けれどあまりにも稀有で希少で類まれな特筆すべき点があった。



意図的な記憶の喪失。



どれぐらいの期間の記憶を喪失させられるのかはわからない。
ここ数日の記憶か、もしくは数ヶ月分か、はたまた数年か…。
また記憶を喪失していられる期間も数日という話だ。



実用として用いるにはあまりに不安定な代物。
だけど…もしその機能がコントロールできるのだとしたら…?



エリーゼの病は治せるのかもしれない。



数値的には「健康」と言える範囲内の人間だ。
体の不調の記憶を全て消去できれば…健康だった頃の記憶まで
遡れれば…「病気」という分かれ道に足を踏み入れる事なく
「健康」の道を歩めるんじゃないか?



だから



今すぐこの薬をエリーゼに使えば



ダメなら何度か改良を重ねて実験をすれば



いやエリーゼじゃなくても構わない



そうだユーリがいるじゃないか



それがダメならマリアナでもミカエラでもリクでもロイドでも




『そんなの不謹慎です!!!』



頭の真後ろで雷が響いたような気がして即座に振り返る。
そこには誰もおらず、しばらく辺りをそそくさと見渡してみた
けれど、やっぱり誰もいなかった。



「ん〜……」



一度椅子の上に胡坐をかいて座りなおしてみる。
二、三度体を左右に揺らしてみる。
なんだか急に気恥ずかしくなって頬をかきたくなった。



「これは…まずボク自身に使ってみる方が先決かな」



それでも今度はプラ…いや、ディーナっていう名前を
忘れないんだろうな…。



今日はもうなんだかいいやと思って、マリアナの淹れてくれる
紅茶でも飲もうとボクは研究室を後にした。



科学者 レオン - -
Unknown
         

世の中には「原因」がわからないのに「結果」
が出るものがある。



なぜか効く薬。
なぜか折れない剣。
なぜかそこでしか咲かない花。



今ボクの目の前にあるこれも数多ある
「なぜか」の内の一つ。



なぜかクラウス殿はこれを睨みつけ
なぜかエリーゼはこれに怯え
なぜかボクはこれに胸躍った。



数年の歳月を費やしてなお原因の全てを
知ることはできない。



日々の実験を経て上がってくる切れ端のような
分析結果を見てわかった事は、この世界には
わからない事がいくらでもあるとわかった事。



そうして今日はそれを指で小突いてみたりする。



なぜか気持ちがスッキリとした。
なぜかこれに出会った日を思い出した。
なぜかリーネ殿の亡骸の傍にあったこの小瓶を。



科学者 レオン - -
衣食足りて礼節を知る
         
 
今日も暑いなぁ…暑いよねぇ?
いやぁ、今日だけじゃないよ?
昨日も一昨日もその前の日も一週間前も一ヶ月前も…
もうずっと暑いんだ。
 
 
 
きっと十年前もフェルマー予想が発見された日も
キリストが生まれた日だって暑かったに違いないよ。
ん……でもどうなのかな、もしかして紀元前は涼しかったのかな?
 
 
 
そもそも「暑い」という概念が気温ではなく体感温度
によるものだとすると、衣食形態の変化や人口増加に
伴う文明発展が原因だという事もあり得る。
 
 
 
んん〜…確か書斎にあるグレゴリウスの隣にタキトゥスが
あったなぁ…んん…今すぐ行きたい、行きたいけれど…
 
 
 
暑いんだってば。
 
 
 
千年以上に遡る気候の変化の真偽はわからなくても、
今日こんなに暑い理由はわかる。
執事のハインゼスさんが置いていったこの分厚い
コートのせいだ。
 
 
 
なんでもクラウス殿からありがたくも下賜された
この一品。
動くのが面倒だからとごねるボクにハインゼスさんが
それはもう器用に試着を済ませ…
 
 
 
済ませたはいいけどハインゼスさん、そのままクラウス殿
の呼び出しに応じて飛び出していったんだ。
立派な忠誠心だとは思うけど、投げ遣りはよくないよね?
 
 
 
そんなわけで研究室の椅子から一歩も動けずにいるボク
だけれど…今日はもう体を起こす気力すら無いよ。
この突っ伏した顔の向きを変える事がせいぜいさ。
 
 
 
…変えなきゃよかったなぁ、顔の向き。
照りつける日差しが眩しいこと、暑いこと。
 
 
 
それでも、こんな暑い夏の日が大好きだって、
姉さんはよく言ってたっけ。
 
 
 
はぁ…ボクには死んでも理解できそうにないよ。
 
 
 
誰でもいいからこのコート、剥いでくれないかな。
ついでに書斎まで背負っていってほしいよ…。



科学者 レオン - -
科学のできない一日
         

今日は多くのお客さんがこの館に招かれたらしく…
なんだか騒がしい一日だったなぁ。



程よい湿気と多すぎない雲間から陽が射す…
こんな一日は絶好の実験日和だっていうのに。
研究室に籠って先日発見した細菌の経年変化を
培養作業と並行して眺めていたら…
きっと楽しかっただろうなぁ。



でもあんまり楽しくなりすぎるとクラウス殿が
お金を出してくれなくなるから…
今日一日は彼に真面目に付き添って…途中立ち寄った書斎で目に付いたプリンキピアがちょっと気になって、ソファーに横たわってニュートンに思いを馳せていたら今度は学生の頃に読んだ弁神論の著者がどうしても気になって…
そうしたら「診察はどうした」とクラウス殿に怒られて…



耳を引っ張られながら連れて行かれた先では
ユーリとリクがクラウス殿にはたかれちゃったんだ。
でも…困るよねぇ。
ユーリがいなくなったら僕がどれだけ悲しい想い
をするか…彼はわかっていないんだよ。



もしこれでユーリの体が突然変調をきたしたり
なんかしたら…どれだけデータに誤差が出るか。
よくないよねぇ?クラウス殿は実験体の
大切さをわかっていないんだよ?



ユーリや「無痛覚症」の彼がどれだけ貴重な存在なのか
クラウス殿にもわかってほしかったけれど…
なんだか怒った様子で一人で出て行ってしまったよ。
ついて来いといったり置いていったり…忙しい人だね。
それに短気はいけないよね?
今度クラウス殿にはコペルニクスの話をしてあげよう。
あ、ケプラーの方がいいかな?きっと楽しいぞ…うん。



こうして振り返ってみるとよく働いた一日だったなぁ。
これだけ頑張ったんだから、新しい実験器具の一つも
買ってくれるといいよね。



そうそう、それに僕自身の進化という素晴らしい
出来事もあったんだ。
どうにも人の名前…というか人が覚えられない僕なんだけれど、今日はついにこの家の執事さんの名前を覚える事ができたよ。
いやぁ、普段から研究室に紅茶やお酒を届けてくれたりして
いい人だなぁとは思っていたんだけれど…



有能というのは彼のような人にこそある言葉なんだろうね。
これからも研究室の掃除とかしに来てくれると嬉しいなぁ、
執事のハイ……ハイン……ハインゼスさん!



うんうん、実験ができなくても成果はあるものだね。
結構いい一日だったな。



科学者 レオン - -
ブラックボックス
         

君の目の前には「卵」がある。


 

ああ、むやみに割ろうとしてはいけないよ?
そもそも割る価値は無いのかもしれないのだから。


 

触れて、嗅いで、見て、舐めて、比べて、温めて、置いて、浸して…
やるべき事はいくらでもあるじゃないか。


 

それでも最後には我慢できなくなるんだろうなぁ…
割りたくなる欲求を。


 

君の「卵」には何が入っていると思う?
やっぱり出てくるのはひよこなのかな。
いやぁ、案外「コカトリス」とか「フェニックス」…この家で育てば「ヴィゾーヴニル」なんて事もあるかもしれないね。
そもそも生き物じゃなくて「空飛ぶ船」が出てきたり、はたまた卵は「太陽を閉じ込めるための容れ物」だったり、卵を割ることで時間を加速させる「スイッチ」だったりする可能性だってある。


 

なんだい、その表情。
あ、ひょっとしてあるかもしれないって思ってる?それともそれは軽蔑の眼差し?


 

だけど僕達科学者は可能性を否定しない。
万人が知り得ない事実を知る一万一人目になる。
人が想像できることは、必ず実現できるんだ。


 

だから今日にでもあの屋敷に使いを出して例の三百年前の実験装置…


 

「却下だ」


 

…を譲ってもらう手筈を整え…あれ?


 

「僕…今、最後まで口に出しましたっけ、クラウス殿」


 

数瞬の間に起きた奇妙な出来事を反芻して、パトロンの動向を追う。
見れば既に部屋を出るべくドアノブに手をかける所だった。
…どうやら僕に与えられた時間は、あとわずからしい。



思わず視線を落として右手でこめかみを掻く。集中するときの僕の癖だ。
たとえ刹那に満たない時間しか無くても思考を止めてしまっては状況を打破できない。
昨日までの不可能を今日は可能にするのが科学者の矜持というものだ。


 

えっと…ほら、あの実験装置があれば…


 

「お前のためだろ」


 

…エリーゼの病状の回復に役に立つかも…え?


 

「あの…」


 

目を見開いて、頭を上げる。
が、彼は一顧だにしないまま部屋を出て行った。


 

「…口にもまだ出してないのに、どうしてわかっちゃったんだろうねぇ?」


 

部屋を訪れる前より幾分顔色の良くなったエリーゼに問いかけてみるも、当惑した表情を浮かべるばかりだった。




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